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経歴

明治2 山辺町山辺生まれ
明治25 東京帝国大学法科大学卒
明治38 ポーツマス講和会議全権委員随員
明治40 法学博士
大正2 メキシコ公使
大正8 パリ平和会議代表代理
大正10 ベルギー大使
昭和2 フランス大使平和条約実施委員長
昭和3 パリ不戦条約締結に参与
昭和4 ハーグ対独賠償会議日本代表
昭和6 常設国際司法裁判所長
昭和9 没(オランダ国葬)
安達峰一郎

1869年(明治2)~1934年(昭和9)

外交官、国際法学者、国際司法裁判所長。

大学では国際法を専攻、法理学者ボアソナードからフランス語を学び、英語、イタリア語も習得、卒業と同時に外交官となる。ポーツマス講和会議では小村全権委員をたすけて条約草案の作成にあたった。大正8年、国際連盟創立以来、その重要な会議には必ず日本代表として出席、会議の主導的役割を果たし、またたびたび議長にも推された。第一次大戦後の複雑な国際情勢の中で、外交官として、国際司法裁判所長として、少数民族の権利擁護のために尽くした努力は、各国から高く評価されている。東京の安達峰一郎記念財団と山辺町北部公民館には、博士をしのぶ遺品等が保存・展示されている。