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タイトル | 最上義光物語 全 |
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ふりがな | もがみ よしあき ものがたり ぜん |
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概要 |
「最上義光物語」は、「最上記」、「義光物語」ともいい、戦国大名にして山形藩祖最上義光の一代記である。最上家に仕えて七代目という最上家遺臣某が、最上家の改易により武蔵国葛西というところで籠居中にまとめたもの。 「群書解題」によれば「續群書類従本」の「最上義光物語」には末尾に「寛永十一年暮秋下旬案之」とあることから、寛永十一(1634)年が原本の成立年代と考えられている。 また、長谷堂の渡辺宗一所蔵本では「右最上家譜前部者最上家志村九左衛門之子九兵衛入道休賀斎令述作處之草稿也松堂所持」とあり、「最上義光物語」の資料原がわかり興味深い。 本書は、「續群書類従本」の「最上義光物語」と字句や表現に異同があるが、ほとんど同じである。しかしながら、「序」に「某迠七代最上家に仕えゑけるに」と筆者を最上家に仕えて7代とする。この部分は、流布本では「某重代ノ主君最上義光」とある。山形県立図書館所蔵の「義光物語全」も「最上の家中某迠七代仕へける」とある。寛政9(1797)年6月に高橋寛教が書写した「最上義光物語全」にも「某迠七代ハ最上の家に仕えけるに」とある。『山形市史』所収の後藤嘉一氏蔵「最上記」も「某まで七代最上の家につかへけるに」とある。最上義光歴史館所蔵本の「最上記」も「某まで七代最上の家につかへけるに」とある。「光明寺旧蔵本」(『最上出羽守義光物語』かめや書店、明治43年)も「某迄七代最上の家に仕えけるに」とある。すなわち、「最上義光物語」には2系統があったようで、山形市内に伝わる「某まで七代最上の家につかへけるに」という系統が原「最上義光物語」に近いのかもしれない。 (解説:山形大学人文学部教授松尾剛次氏) |
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