絵図

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標題 水野氏時代山形城郭図
カテゴリ 絵図
サイズ及び形状 109×79センチメートル 軸装
書写人 不明
書写年 不明
拡大画像 https://opac.lib.pref.yamagata.jp/zoomify/viewerfeatures/11mizuno_yamagatajokakuzu.html
画像ダウンロード  11水野氏時代山形城郭図(10.8MB).jpg
解題 三の丸11箇所の出入り口(虎口)が丁寧に描かれ、三の丸内の街路は朱書きされている。また二の丸と三の丸を結ぶ水路も描かれており、街路と水路を主眼に描かれた絵図と見られる。
標題は水野時代とあるが、二の丸櫓門が克明に描かれており、「秋元氏時代山形城図」と相似している。三の丸鍄口(かすがいぐち)が「春日井口旅籠町」の表現もまた然り。秋元氏時代の山形城下絵図の可能性も考えられる。今後の検討が課題といえよう。
解説 1845年(弘化2)から1869年(明治2)にかけて、山形藩主をつとめたのが水野(みずの)氏でした。水野氏からは忠精(ただきよ)・忠弘(ただひろ)の2名の城主を出しています。結果として、1868年(明治元)の明治新政府の成立と戊辰戦争の結果として、山形藩は廃止となり、山形城も廃城となったため、水野氏が最後の城主となりました。
この絵図は、表題を信用すれば、水野氏時代の山形城の様子を描いていると思われます。しかし、前の藩主の秋元(あきもと)氏時代の「秋元氏時代山形城図」と比較しても、藩の家臣の屋敷などの建物が描かれているか否かの違いはあるものの、それ以外の変化が見られません。「水野氏時代山形城下絵図」では描かれなくなっている二の丸西側の三階櫓が描かれていることからも、おそらくこの絵図は水野氏時代ではなく、秋元氏時代の山形城を描いたものと考えるのが妥当だと思われます。