絵図

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標題 水野時代村山地方領分
カテゴリ 絵図
サイズ及び形状 112×104センチメートル 軸装
書写人 不明
書写年 不明
拡大画像 https://opac.lib.pref.yamagata.jp/zoomify/viewerfeatures/10mizuno_murayama.html
画像ダウンロード  10水野時代村山地方領分(11MB).jpg
解題 江戸時代末期の村山郡領内村々図である。郡外への街道表示が多い。
御料(幕府領)・白川・佐倉・土浦・山形・新庄・上山・左沢・天童・米沢の10領地に分類されている。
解説  「幕末期村山郡村々色分諸大名支配図」や「山形御城附御領分絵図」と同様に、複数の支配者が存在する非領国(ひりょうごく)支配が行われた村山郡(むらやまぐん)の状況がわかります。非領国支配についての説明は、「幕末期村山郡村々色分諸大名支配図」をご覧ください。
街道が朱色の線、川が青色、山岳は緑色で示され、黒色の文字でさまざまな情報が記されています。城や陣屋(じんや)は四角形で示され、城名や町名が記されています。村は楕円形で示され、村名が記されています。城・陣屋・村は支配者によって色分けがなされており、無色(「御料」)が幕府領、白色が白河(しらかわ)藩、水色が佐倉(さくら)藩、紫色が土浦(つちうら)藩、黄色が山形藩、赤色が新庄(しんじょう)藩、黄緑色が上山(かみのやま)藩、橙色が左沢(あてらざわ)藩、桃色が天童(てんどう)藩、青色が長瀞(ながとろ)藩(「米津」)となっています。
 地図の表題が「水野時代村山地方領分」となっています。「水野時代」、すなわち1845年(弘化2)から1869年(明治2)にかけて山形藩主をつとめた水野(みずの)氏の時代のもののようにも思われますが、「幕末期村山郡村々色分諸大名支配図」では館林(たてばやし)藩の領地となっている漆山(うるしやま)がこちらの地図では山形藩領となっています。水野氏の前に山形藩主をつとめていた秋元(あきもと)氏は1845年(弘化2)に館林(現在の群馬県館林市)に領地が移動(転封(てんぽう))となり館林藩主となりますが、漆山はこの時に館林藩領となります。また、黄色になっている村のうち、今町(いままち)村が山形藩領となるのは1842年(天保13)のことで、1845年には館林藩領となることから、おそらくこの地図は、1842年から1845年までの秋元氏時代の支配のあり方を示していると思われます。