絵図

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標題 幕末期村山郡村々色分諸大名支配図
カテゴリ 絵図
サイズ及び形状 85×169センチメートル 軸装
書写人 不明
書写年 不明
拡大画像 https://opac.lib.pref.yamagata.jp/zoomify/viewerfeatures/05bakumatsu_daimyoshihaizu.html
画像ダウンロード  05幕末期村山郡村々色分諸大名支配図(11.2MB).jpg
解題 幕末水野氏時代の村山郡内の村々が小判型で描かれた絵図で、支配する大名ごとに村々が色分けされている。
水野領・館林領・佐倉領など16の諸大名支配地が色分け表示され、最上家改易後の山形が頻繁に所領替えが行われるなどし、幕府領や諸藩飛地、預り地等が複雑に分散入組む状況が続いていたことがよく現われている。
なお、標題は、絵図中には記載されておらず、後年貼付されたと思われる題箋に「秋元藩領内古図」とあったが、描かれている内容を見ると、秋元藩が上野国館林へ所替の後、本県内に残された秋元藩の所領「館林領漆山陣屋附」が描かれていることから、本図は秋元藩移封後の幕末期の所領図であることが明らかなため、山形県立図書館では標題を「幕末期村山郡村々色分諸大名支配図」と整理して取扱っている。
解説  現在の日本は都道府県も市町村も、基本的には地続きで地域的にまとまって存在していますが、江戸時代の町(ちょう)(商工業を営む町人が住む場所)や村(むら)(農林水産業を営む百(ひゃく)姓(しょう)が住む場所)は、支配を行う者(幕府・藩)が隣の町・村でも異なっている場合が多くありました。例えば、米沢(よねざわ)藩の上杉(うえすぎ)氏や庄内藩の酒井(さかい)氏は、現在と同様に、それぞれ置賜地方・庄内地方一帯を地域的にまとまって支配していました。そのような支配のあり方を領国(りょうごく)支配と呼びます。一方で、村山(むらやま)郡(現在の村山地方)はある村は幕府の支配、ある村は藩の支配など、さまざまな領主がひしめき合っていました。このような支配のあり方を非領国(ひりょうごく)支配と呼びます。この地図は、村山郡の非領国支配の様子が、よくわかるものです。
 街道が赤色の線、川が青色、山岳は緑色で示されていますが、山岳信仰の対象となっていたためか、蔵王山(ざおうさん)・月山(がっさん)・湯殿山(ゆどのさん)・葉山(はやま)は特徴的な描かれ方をしています。四角形で城や陣屋(じんや)、楕円形で村が示され、中に城名・村名が記されています。城・陣屋・村は、茶色は上山(かみのやま)藩、黄色は山形藩、橙色は館林(たてばやし)藩の漆山(うるしやま)陣屋、小豆色は松山(まつやま)藩の左沢(あてらざわ)陣屋、灰色は土浦(つちうら)藩の北目(きため)陣屋、灰色・輪郭赤色が米沢藩の預所の中野(なかの)陣屋、青色・輪郭赤色が幕府領の柴橋(しばはし)陣屋、青色は佐倉(さくら)藩の柏倉(かしわくら)陣屋、白色・中央青線が旗本(はたもと)(幕府家臣の領地)の高力(こうりき)氏の陣屋、赤色・輪郭青色は天童(てんどう)藩、朱色・上下青色は新庄(しんじょう)藩、緑色・輪郭赤が白河(しらかわ)藩の山辺(やまのべ)陣屋、白色・上下青色が幕府の寒河江(さがえ)陣屋、白色・輪郭青色が幕府の尾花沢(おばなざわ)陣屋、白色・輪郭赤色が幕府の東根(ひがしね)陣屋、緑色が長瀞(ながとろ)藩と、色と装飾で支配のあり方が示されています。山形藩の藩主が「水大監物」=水野忠精(みずのただきよ)となっていることから、水野が城主をつとめていた1845年(弘化2)から1866年(慶応2)のころのものと考えられます。