絵図

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標題 山形市街図
カテゴリ 絵図
サイズ及び形状 149×127センチメートル 縮尺3000分の1軸装
書写人 作者:豊田 藤太郎(光陽堂)
書写年 昭和4年3月印刷、同年4月1日発行
拡大画像 https://opac.lib.pref.yamagata.jp/zoomify/viewerfeatures/06yamagatashigaizu.html
画像ダウンロード  06山形市街図(12.5MB).jpg
解題 昭和4年(1929)当時の旧山形市街地の番地が付されている縮尺3000分の1の詳細地図である。
脚注に「本地図ハ市役所発行ノ番地入地図ヲ資料トシ其レニ改訂ヲ加ヒ印刷セシモノナレト書方ニ多少ノ誤謬ナキヲ保シ難キヲ注意附書ス」(旧字体は新字体で表記)とあり、山形市役所発行の番地入り地図をもとに作成されたことがわかる。
山形市七日町の印刷業、光陽堂豊田藤太郎が作成し、一般に販売したもので、区画整理など多方面で利用されたもようで、個人所有のものが数多く現存している。
解説  1929年(昭和4)に出版された山形市の地図です。1876年(明治9)に現在の山形県が成立した際に着任した県令(現在の県知事)・三島通庸(みしまみちつね)による大規模な都市建設、1894年(明治27)の山形市南部の火災、1911年(明治44)の山形市北部の火災などを経て、江戸時代以来の山形の様相は一変しました。ちなみに、山形に市制が施行されるのは、1889年(明治22)のことです。
 地図は左上が北となるよう描かれています。江戸時代の山形城と比較すると、まず三の丸にあった濠(ほり)(水堀)は失われ、二の丸は「第三十二聯隊(れんたい)」、すなわち1898年(明治31)に山形市によって誘致された陸軍の歩兵第32連隊が置かれています。また、その南には、1901年(明治34)に福島・秋田間を結ぶ奥羽線の駅として設けられた「山形駅」=山形停車場(ていしゃば)があるのがわかります。1920年(大正9)には山形市街の東(小白川)に高等教育機関として山形高等学校(現在の山形大学人文社会科学部・理学部の前身)が置かれています。この地図からは「軍都」「商都」「学都」として成長する山形の様子が見て取れます。