絵図

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標題 山形御城附御領分絵図
カテゴリ 絵図
サイズ及び形状 157×104センチメートル 軸装
書写人 不明
書写年 不明
拡大画像 https://opac.lib.pref.yamagata.jp/zoomify/viewerfeatures/09yamagatajo_goryobunezu.html
画像ダウンロード  09山形御城附御領分絵図(10.6MB).jpg
解題 水野氏時代の村々色分小判型絵図と思われる。河川が目立つように描かれているが、川名は最上川と白水川(しろみずがわ)のみである。また集落と集落をつなぐ街道の線引きが不明確であり、物足りなさが見える。
また上山領内は「上ノ山」のみで阿弥陀地や楢下などの集落の全てが欠如している。
解説  「幕末期村山郡村々色分諸大名支配図」や「水野時代村山地方領分」と同様に、複数の支配者が存在する非領国(ひりょうごく)支配が行われた村山郡(むらやまぐん)の状況がわかる地図です。非領国支配についての説明は、「幕末期村山郡村々色分諸大名支配図」をご覧ください。
 緑色で山岳、青色で川、赤色の線で街道を表しています。また、二重の四角形で城、一重の四角形で陣屋(じんや)、楕円形で村を示しています。これらは、山形城は赤色、左沢(あてらざわ)陣屋は朱色、寒河江(さがえ)陣屋は黄色、といったように、その村がどの城・陣屋に支配されているのかが色と模様で分かるようになっています。
「幕末期村山郡村々色分諸大名支配図」や「水野時代村山地方領分」と大きく異なるのは、慈恩寺(じおんじ)や光明寺(こうみょうじ)など、寺院の支配する村も示されている点と、一つの村に複数の支配者がいたことを明示している点です。江戸時代の村は、領地の移動(転封(てんぽう))、領地の没収(改易(かいえき))によって領主が頻繁に交代し、その結果として一つの村に複数の領主が存在する状況も生まれます。そのような村のことを相給村落(あいきゅうそんらく)と呼びます。中野(なかの)村は、柴橋(しばはし)陣屋(幕府領)・天童(てんどう)城(天童藩)・漆山(うるしやま)陣屋(館林(たてばやし)藩)の支配からなる相給村落ですが、天童藩が支配するようになるのは1848年(嘉永元)のことなので、1848年以降の地図であると思われます。