手彩色石版画

山形県、福島県、栃木県道路写生帖

番号 24
タイトル 南村山郡吉原村新道ノ内酢川ニ架スル常盤橋ノ図
解説 旧羽州街道の酢川(現、須川)に架かる常盤橋。1878(明治11)年3月に着工し9月に竣工した長さ52メートル、幅7.3メートル(15間、4間)の五連のアーチを持つ石橋は、近代化政策を推進した県令三島通庸がもっとも注力した橋であった。設計は、三島が鹿児島(薩摩)から招いた奥野忠蔵で、石工は山形の片岡(信濃屋)仁兵衛らが担当し、永久の意味を込めて「常磐橋」と命名された。右側には水天宮が祀られた。完成前の7月に、イギリス人女性探検家のイザベラ・バードが常磐橋を訪れている。完成した橋のたもとには茶屋ができ、錦絵が販売されるなど名所として栄えたが、1890(明治23)年6月末の大洪水で流失した。
高橋由一は石版画のほか油絵で『酢川にかかる常磐橋』(1881-82年、東京国立博物館蔵)をほぼ同じ構図で描いているが、由一は山形県御用写真師の菊地新学が常磐橋を撮影した写真をもとに制作している。